引き続き遊んでみている
折角なので、うちの名無し君も本にしてみた。
作ってみました
— 名無し (@nananshijyouhou) 2024年4月27日
『名無しとは何か?』という本をつくりました! #わたしの現代新書 #現代新書60周年キャンペーン https://t.co/hTY5kytAtp
私は名無し、少なくとも貴方にとっては。雑踏のなかのただの背景。あったことがあるかもしれない、ないかもしれない、ただただ大勢いるなにかの中の一つ。
いろいろ変えることが出来るようだ
没案だが↓
なお、キャッチコピー等は変えることが出来るようだが、表紙の色は一度作成してしまうと変えられないようだ。
恐らくこうして様々なversionを作成しながら最適なものを作成してゆくということだろう。
著作物性の話に少しすると、結局この選択行為が、そのものの「思想及び感情」を表現しているとみた方が良いだろう。いずれにせよ複数のAI生成物から「これだ!」という、自分の「思想及び感情」に適合した表紙を選んで自身の名で投稿している。
利用規約もあるが、講談社側もAI生成表紙そのものは著作物性※が生じうることを認めているように見える。
この辺は、ありがたいことに被引用かけてもらっているが
↓
の
「人工知能と人類の未来」
にて(趣意書は↓)
https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2024/03/feb0710ee4622e6777021d65378ffcda.pdf
多少議論あるようで、高知にはなかなか行けずWEBもないので聴講も難しいが…
恐らく、生成AIでは「生成系AI䛾出力パターン䛿、プロンプトを通じて出力されたパターンを鑑賞・吟味し、そこに美(や醜、快適さ、不快など)を見出す
生成系AI䛾利用者と、同様にそこに正負䛾美的価値を見出す鑑
賞者䛾存在によって、美的な存在として成立する。」(大谷卓史)というところをよく考える必要性があるだろう。
なお、出力物の選択により著作物性を獲得するという考え方はある程度、支持を得ているようだ。
最近の書籍↓
p.166では「現状では、この取捨選択による場合が一番多いのではないかと考えられる」と、生成AIを活用した場合の著作物性(AI生成物に対する創作的寄与)は取捨選択によって生ずるパターンが多いのではとしている。
なお、取捨選択しているかどうか正直わからないことも多いと思われる為、現実的にはやはり今までの創作性がありそうなものは著作物として取り扱い、AI使用者等※に権利帰属させた方が良いと思っている。
※以前の自説通り
取捨選択の場合、使用者になるので、結局はAIを使用していた者、への帰属となるだろうが…
現在はAI使用者一元帰属アプローチを考えている為、↑は旧自説だが・・・
恐らく現行法を前提とすると、(もう初出は7年も前だが)この辺の結論になるとお思うし、主要な方面見てもそこまでおかしいことではなかったと思っている。
(はじめた2016~2017年当時はここまで盛り上がるテーマになるとは思われていなかったし、思えば牧歌的だったのだが…あっという間にものすごいテーマになってしまい、当時先見の明はあったと自負したいが、いつの間にか「流行ごとをやっている名無し君」になってしまったのは残念だ)。
一応今までも山ほど書いてはいるので…
(1本主要なものを↓)
※補足
現代新書メーカー
https://60th.gendai-shinsho.jp/maker/terms
※第6条 知的財産権等の帰属
にて「ただし、表紙生成サービスを通じて提供される生成物については、この限りではありません。」
→利用者に著作物としての帰属可能性が示唆されていると思われる。
そこで、
「表紙生成サービスを通じて提供される生成物の著作権その他一切の知的財産権等は、弊社に帰属します。利用者は、生成物を第三者に有償で送信、頒布、貸与することはできません。また弊社の許可なく生成物のグッズ化・商品化を行い、有償で販売することはできません。」
とその下にすぐに補足を入れている。
なお、有償不可であって無償配布は許諾されているとみてよいだろう(ツイッターで告知をお勧めしていることからもその辺は「引用」ないし、フェアユースは日本には無いとはいえ、自社の広告に資する、と判断するものには権利行使をしない、というそういう姿勢と思われる。 ゲームの配信など権利行使をしないことを表明されることも多くあるが、この辺、「権利者の広告に資すると判断されうるもの」は権利侵害とならないという条項が欲しいところだ(いちいちそれを表明するのもどうかと思うし、ファン相手に権利侵害で裁判していたらファン離れもするだろう…)。
上手く著作権法改正なら無いものか。