相も変わらず著作権法違法コンテンツだが・・・
(一応二次創作。何も言われていないので作者黙認のファンコンテンツか。一応は許諾得ている可能性もあるにあるのだが…)
【アテレコ】バイオレンスサザエさん破:⑭ - YouTube
なかなか昨今の新自由主義批判考えると面白い。
上の死にたくない、死にたくない、と必至に無駄なあがきをしている…
「とまったらどうなっているかわかるか!」と脅迫するもの
「永遠にもがき続ける顔が見たい…」と…
完全に違う文脈とつけるとなかなか意味深げになる。
そういうのは「ノイズ」なんだろうが、やはりどうしてもそういうのを考えてしまう。
典型的には上の記事の下記部分だろう
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資本主義とは、流動化である。そして、流動化されたものの変化である。新しいもの、変化すること、それ自体に価値があるようになった社会である。
それにより差別化し、別のぜいたく品(前述のエンタメ品でも)から消費者を奪ってくるのである。スピード勝負。こうなると、すべてのプレーヤーが動こうとする。変化しようとする。前と違うものを生み出し、違うことをしようとする。
そうなると、必然的に将来は予測不可能になる。毎日の日常、繰り返しの安定した生活なら、明日に何が起こるかわかる。社会全体でもわかる。しかし、流動化し、変化を追い求める社会では、明日の予測が立つわけがない。だから、資本主義が加速すればするほど、将来はわからなくなる。
現在、もはや将来予測はできない。その理由は、前述の流動化・変化が20世紀初頭までは生産者側の競争によるものだったのが、それ以後、消費者側の変化、消費者の気まぐれにより経済社会が変化するようになったからである。
生産者が消費者の暇つぶしのエンタメ品需要の獲得競争をしているから、技術的な変化ではなく、消費者の嗜好の変化に対応して企業は予測し、行動しなければいけないが、これは非常に難しいのである。
消費者は気まぐれだし、エンタメ品を消費しすぎて、飽きるのが早くなってくる。だから、21世紀、さらに企業は変化の加速を求められている。となると、設備投資は難しくなる。技術的・品質的には世界最高のもので、この先10年は抜かれないと思っても、つまり、技術的な賞味期限が10年あっても、消費者は1年で飽きるかもしれない。
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以前にフィッシャーは紹介しているので再度だが
全ては非長期で、広報にきえてゆく。
絶え間ない変化圧力…結婚生活などままならないだろう。
そう冒頭のハムスターのようにひたすらとまることができずに、カラカラ車を回し続けるほか無い…
その先に、他者の「ノイズ」が入り込む予知はない↓
時間が無いことが本を読むことを妨げるのではなくノイズなしの「情報」以外受け取る余地がない。
そういう社会になっていると。
全身全霊一つのことを行うこと以外できない(それも未来予知が不可能でひたすら消費者の気まぐれに翻弄されるのみ…まさにバイオレンスサザエさんの冒頭のシーンそのもの)・・・
知識の幅が武器になると、またまた自己啓発的にいわれてもそれどころではない。
偶発性も遠く離れた他者との対話もなく、狭い狭い檻の中に閉じ込められて、無意味な車回しをし続ける…延々と。
もしかするとそれは藻掻き続ける顔を見たいという諸費者の気まぐれのためだけにかもしれない中…
状況は絶望的だ。だがそれは好機でもある。
視野限定が激しくなり、戦略と戦術の違いもわからなくなり、AIによる圧倒的な情報分析が可能となってきた今、それは大きなチャンスがあるということでもある。
人生という檻からは逃れられない。むなしくとも車を回し続けるほか無い。
それもその車を回しているのはまさに自分自身。外からの声もあるが、車を回すことを内面化している。ただ回すためだけに。
それでも、「ノイズ」として・・・自己啓発的に切り捨てをして…前しか見えない。
前面の敵影を撃破せよ… 最後はそれしかなくなるだろう。
友・敵理論と新自由主義の関係はよく論じられるが、全てをノイズとして切り捨てた先にたどり着くのは皮肉なことに切り捨て、ノイズとして自分と関係ないとした「政治」正確には「政治的なるもの」となるだろう。
なぜならば社会を消滅させ、自分だけにパーソナルにカスタマイズされた空間の中に安住しながら片一方で労働者として無意味な歯車をひたすら回してゆく中で生じてゆくものはまさに、他者を敵対者として対峙するほか無い状況を作り出すだろう。何せよ他者と自分では嗜好が異なり、その間を取り持つ社会はすでに存在しない。そうなれば意味するところは「政治なるものの概念」そのものとなるあろう。
すなわち「ノイズ」たる敵影を撃破せよ… と。
すでにクラッター化した個々人の嗜好はどこでどのように衝突するかも予測不能であり、ますます状況は円環状に加速は進む。
加速に加速した社会は、やはり最後は…
(加速というと脱線だが…されにノイズだが、表紙のウィリアム・ターナーの絵が良い)
で、やはりこちらも・・・
最も、これはあまりにも戯曲化しすぎている。
それも方向性としては一つありうる方向だろう。
半身社会の提案というのもあったが…果たして???
とはいえ、完全に利己的なことをいえばこの状況が進めば進むほど我々にチャンスも生まれる。状況は絶望的だが、それこそが好機でもあるというひねくれた状況…