27日に迫った国葬だが、まさに今回は警備力が問われる。
普段であれば警備など日本ではなおさら話題にはならない。
そもそも首相といえども1年も持たずに交代することも多かった過去(安倍政権で忘れ去られてしまったが、その前は1年未満首相も多くいた…安倍さんですら第一次の時は1年ちょっとで倒れたのだから)、首相を暗殺するまでも無く勝手に変わっていったといえる(で、それで大きな変化はどこまであったかは不明という)。
ところが、安倍さんの暗殺で風向きは変わったといえる。
一人の暗殺で、暗殺者が意図したように(?)統一教会問題は、燃え上がり、広範な政治課題にもなった。
暗殺によりある程度政治を動かすことが出来ることが証明されてしまい、かつ暗殺者に寄り添うというか、暗殺者よりな意見も多く登場している。
国葬当日に暗殺者を取り上げた映画も公開されるらしい。
これはいろいろな論評はすでに登場しているので、下手な論評は控えるが、自由主義国家らしいといえるだろう。
人が銃撃されて亡くなったというのに、その葬儀の日に犯人の心情を描いた映画が公開され、大新聞が「監督の思いを聞きました」と提灯記事を書く。何故悪に悪を重ねるのか、全く理解できない。何の正当性もない。
— 飯島明子 💉💉💉💉😷 (@a_iijimaa1) 2022年9月24日
こういう意見もあるように、作る方も報じる方も…というのはあるが、ある程度自由主義という以上、暗殺者側に寄り添った意見表明も出来ることは重要。その上で、それは正しくないのではと、意見を戦わせることの方が重要だろう。
この手の、ある種不謹慎、逆撫で、主流的なことにあえて挑むことが許されなくなることは、非常に不味い。
暗殺に限らず、どのようなものでも相手方の言い分は聞くべきだろう(その為に裁判でも明らかな加害者側であっても弁護の機会が保証されている)。
とはいえ
とても重要なご指摘です。戦前、政治家を暗殺した多くの若者が、貧しい農村出身の、社会に憤怒する不幸な生い立ちの人。そしてそれに同情する世論も。「私利私欲」にまみれ腐敗した政治家を暗殺をするテロリストへの同情が広がり、政党政治に替わる新しい政治を希求。民主的政治打倒の日は近いのかも。 https://t.co/L8PIAhOOWB
— Yuichi Hosoya 細谷雄一 (@Yuichi_Hosoya) 2022年9月24日
選挙戦の演説中に元総理が銃殺されるという民主主義の危機に、銃撃犯に同情する声があることに危機感を覚える。あってはならないが、仮に左派の政治家がテロにあったとしても私は犯人に同情しない。いかなる理由や背景があってもだ。右か左かが問題なのではない。民主主義を守ることが大切なのだ。
— 細野豪志 (@hosono_54) 2022年9月24日
この辺の危惧もある程度理解。
といってもそのような(暗殺者が一部とはいえ賞賛されるような)閉塞的な政治状況を作り出している当事者が言うのは若干ではあるが。
自分の愛する家族が同様にテロの標的として殺されたときにも、同じように殺害者の気持ちに寄り添えるのか、聞いてみたい。 https://t.co/S7ocnZTuqs
— Yuichi Hosoya 細谷雄一 (@Yuichi_Hosoya) 2022年9月25日
これはよく分かるが、少なくとも弁護人は必要。これは普通の殺人事件でも当てはまるが、弁護士に言われると厳しいもの。また、それを支える制度にむけられることでもあるが…。やはり家族が殺されても、暗殺者側の意見を聞くことも重要と主張できるようであるべきだろうし、その手の覚悟を持って発言すべきだろう。
(その点、監督の方は出自からもある種のヤバ目な覚悟はありそう。かえってその方が困るが)
全く賛同。戦前の民主主義が崩壊した一因も、政治指導者を悪と捉えて、それを暗殺した人への共感を寄せたところから始まった。これを企画して支援する人たちは、それをそそのかすことで、無意識のうちに民主主義の最も根幹となる部分を腐食させていることがわかっているのだろうか。 https://t.co/rn7mP3vz3k
— Yuichi Hosoya 細谷雄一 (@Yuichi_Hosoya) 2022年9月24日
この辺の議論は参考にはなる。
安倍元総理の銃撃犯をモデルとする映画を報じた朝日新聞。選挙戦の演説中に政治家を暗殺する行為は言論封殺そのもの(もちろん屈することは絶対にないが)。暴力がメディアを含めた言論空間に及ぶことを強く危惧する。この時期に元テロリストが製作した映画を告知するマスメディアの見識を疑う。
— 細野豪志 (@hosono_54) 2022年9月24日
ちなみにおそらくいろいろいわれているのは
かと。
『足立監督の「REVOLUTION+1」は、安倍晋三元首相を殺害した山上徹也容疑者をモデルにした男の物語だ。撮影期間8日間、製作費700万円強。事件からわずか2カ月半余りで、国葬に合わせた26~29日に東京、大阪、新潟、沖縄など全国13カ所で緊急上映する。』
だそうだ。
ニュースバリューがあるから取り上げるのだろう。
議論のきっかけにはなるので、一つ意義はあると思うが・・・。
さて、それより警備だ
過去これほど警備体制が話題になることも少なかっただろう。
今回は警備の不備から生じたことであるのも大きな一因。
日本は治安良い国、警備体制が強いことで有名で特に「交番」制度は白眉である。
交番精度はアメリカ軍も治安維持で取り入れた(マクマスターがこれで有名になったことはあまりに有名)ほどでイラクなども威力を発揮したというほど。
それが、ある種の油断か?非組織的かつ手製銃で、それもかなり近接されて、2発目で暗殺を実行されるなど不覚に不覚。明らかに1発目と2発目に間はあった。専門家による長距離狙撃やあるいは接近されての一発目であれば弁解の余地があったが、これは余地が乏しいもの。普段の治安の良さに驕ったものと非難されても仕方が無いものであった。
これにより、可能性はほとんど無いと思われるが、何らかの騒動を計画するものが現れうる可能性が生じているといえる。
とはいえ、利益は乏しいし、やったところで…という気もしなく無いが、国際テロリスト等には格好の場になるだろう。ここで何か騒動レベルでも良いので引き起こすことが出来れば十分価値がある。
といっても…↑記事の
『国葬をめぐっては、野党が批判を強め、実施反対のデモも起きるなど逆風も吹いており、同庁幹部は「『自分が正義だ』という攻撃者の心理が生まれかねないムードだ」と危惧する。前兆を捉えにくい組織的背景のない個人の凶行を警戒し、不審なインターネット上の書き込みや、銃や爆発物の原材料の購入に関する情報収集も強化している。』
は、若干的外れな気がする。
『『自分が正義だ』という攻撃者の心理が生まれかねないムードだ』というがそれを言ったら今までもうけの悪い政策などいくらでもあった。国民が皆反対している、だけではこの手のテロにはつながってきていない(消費税増税が良い例、これで暗殺されかかった人はいない)。
むしろ国際テロリストや、件の暗殺者のように個人的な恨み、争点化されない問題を訴える場として、ここで何らかのアピール的なテロが考えられる。
そういう意味では警備の問題というよりは政治の問題ともいえると思われる。
何者も代表してくれない状態故にテロで論点を示す。少なくとも今回そのやり方の有効性は証明されてしまった…
秀逸と話題の分析↓
結局、暗殺者は政治的にも孤立しており、何らかの「勢力」に分類することも出来ない文字通り『「だから言っただろう、最後はいつも一人だと。頼りになるのは自分しかいないと。プライドしかないのだと。人間など屁の役にも立たんと」』。という状態であった。
こうなると、唯一の手段は一か八か有力者の暗殺しか無かったといえる。
※これは他にも大量虐殺を行った、某犯罪者もある種同じだろう。失うものが無い無敵の人である一方、ある種のイデオロギーがあったがその受取手は誰もいなかった。麻生氏に手紙を書いたりもしたが無駄であり、実行行為に移すほか無かったと…。こちらは単なる痛ましい事件と、ゆがんだ思想云々で処理されたが、根は同じだろう。結局自分たちの意見は受け入れられる余地は無い以上、実行行為に打って出る!という。
ちなみに暗殺者のツイッターに関しての一般記事↓
この状況では、「私は正義!国民の側にたっている」を叫ぶ人間がテロを実行するのでは無く(そうであれば政権獲得の可能性も十分あるのだから次の選挙で勝つことを考えた方が良い)、「私は誰からも理解されることも救済されることも無いだろう、このまま終わるのみ…せめて一刺し恨みを晴らしてくれるわー(&わずかながらこれがきっかけでこの問題が社会的に争点化されて、にっくき相手が破滅することを望む)」という対手を警戒すべきだろう。
そういう意味では、少し警戒する相手を間違えているような気がする。
また、単独犯よりもPR効果を考えて何らかの組織も警戒すべきだろう。今回は同じような単独犯が(そもそも誰を殺すのだろうか)生ずる可能性は低く、警戒すべきとすれば、何らかの問題を抱えていてそれの争点化が絶望的な状況のものだろう(そういう相手を警戒すべき。ツイッター監視などもよいかも)。しかしこれは一歩間違うと思想警察になりかねないし、危険性が高い。
そう考えると、政治的アクセス・争点化可能性を高める政治のあり方を考えてゆかなくてはならないだろう。
どのみち、テロによって今まで争点化されてこなかった問題が突如問題化されたという、実例が出来てしまった。同じことは今後もありうるだろう。
この流れを止めるためには、争点化可能性はテロによらずとも十分高いと、国民一人一人に理解出来るような政治の仕組みとなるだろう…。なかなか難しいが。
余談だが、国葬の研究で博士号とった人もいるのだからなかなか面白い
研究者というより市井の人で、興味を持って研究をしていたようだが、こういう方も重要。
何の役に立つのだ、といわれる研究も多いが、こういう思わぬかたちで役立つこともあるので、やはり研究ストックは重要。
市井の人で趣味半分でもこうして研究を続けたことが今回少しは社会のためにもなっただろう。
こういう一回限り、ほとんどは誰の役にも立ちがたい研究でもしっかり出来る基板があることは重要。
文系中心にただ一回のためでもその為に、研究しておく価値はある。
→そして、役立つことが無くとも、それは無駄では無い。結局数打たなくてはならないし、たまたまある一定期間ほとんど役立たなかったのみで、その研究ストックは将来役立つことも十分にある。そのためだけでも文系の研究は続ける必要性はある。困るでしょ、「○○について古今の先例を!」といわれて「全く分かりません、誰も研究していません、そんな研究は役に旗たたないといって消してしまいました!」では…。どこまで役に立つか、何の役にたつか…それが不明でもきちんと研究しておく必要性は十分にある。
この辺は強調しすぎても強調が足りない。
市井の人の研究ということも含めて、この手の分厚い研究ストックは重要ということも合せて強調しておきたい。
ちなみに最後に正論を
事件現場に献花があって未だ黙祷が続くように凶弾に倒れた元首相を偲ぶことに反対する者はいない。結局、推進派政治勢力も反対派政治勢力ももはや国葬を政治的道具とし己のメンツや党勢の問題としている。結果的に故人も国民も不在で、国家の品格まで貶めている。与野党とも、こういう政治でいいのか。
— 鈴木 正朝 (@suzukimasatomo) 2022年9月25日
(ついつい熱くなってしまって5000字近く書いてしまった…)