素晴らしい本 大きすぎた嘴も思い出したが…

 まさかこういうぱっと見スピリチュアル系で、こうも素晴らしい本があるとは知らなかった。第一章~第三章だけでも十分素晴らしい。

 全人類必読!!は大げさも非常に素晴らしい。

 

第三章「ようこそ、結婚という現実へ」このタイトルに全てが込められている。

お馴染みの恋の賞味期限2年や恋に落ちることの説明、愛と恋の違う云々と手際よくまとめている。

 要は恋は

 まさに誘惑される意思そのものと。見事に科学的文脈とも合致する(何故引用されていないかが不思議なくらい)。不合理行動として、結婚を的確にとられているのは、こういう書籍にしては珍しい。

 その上で、いわば言語が違うことや、結局(愛という言葉を使っているが)人間は自己中心で、承認欲求の塊であることその辺の現実を的確に指摘している。

 素晴らしい。

 

 で、ここから脱線だが・・・延長された表現型・・・を思い起こすほか無い。

ある種この種の愛を求める行動(承認欲求)がある種人間を進化は大げさにせよ、発展させてきたことも事実だろう。

 だが、ある種の淘汰の中で過剰進化してきたともいえるだろう。高度な知性を持つ反面、意識を発展させ、集団生活を営み、そこの中で優位に立ち回る能力を発展させ、異性を獲得するためにさらに高度な知性(的)的なものを発展させてゆく…。

 結果として、これは人間の家畜化だったかも知れないし、何より過剰進化へと導いた。大きすぎたくちばし、綺麗すぎた羽…人間も同じだ。

 自意識過剰で、愛が無くては生きていけないほど…。そしてこれはそうは満たされることはなく、このことから不幸が、さらには人口減少が招かれてゆく。

 

 結局、過ぎたるは及ばざるがごとしだ。

 今となっては、結婚すら、コンサルタントが必要になったし、子育てなどなおさらだ。結婚も子育ても一部の(ある種の)エリート以外では難しくなってしまったともいえるだろう。

 果たして、そもそも結婚や子育てに高度なスキルは、忍耐は必要だっただろうか?それは問うても愚問だ。

 今は、本書が極めて有効なように、結婚ではいわば第二言語を学ばなくてはらなないし、大人も子どもも「愛のタンク」を満たしてやる必要性がある。子どもの時にそれが上手くいっていないときはなおさらだ…。

 

 お互いに優位な異性を得るためにより進化というべきか、淘汰されてより洗練され続けた結果がこれだろう…勿論このプロセスは今後も続く…。ある種の失敗者家庭を持つことも勿論子どもを持つことも出来ないだろう。不思議なことに何も考えない「ウェーイ」系と最上流、この二つで子どもは作られ前者の方が数は多い。その為一般的には平均IQはあまりあがらないとされるが、残念ながら高度な教育システムの中で、前者からももう少し上の層への発展が増え持続的に人口は減る。勿論最上流クラスに入るのはいつであっても難しい。また、ある種の人格の上流クラスといえるのでなかなか財力だけでも測れないのも難点だ。

 

 そして、そのレベルは継続的に上がり続ける…

 

 すでに過ぎたる進化、あまりにも肥大した意識を持ちすぎた。一種の継続的承認(愛のタンク)が一杯で無いとダメになってしまった人類に明日は必要だろうか?

 そろそろ、過ぎたるは及ばざるがごとし…終焉を考えても良いのかもしれない。

 

 「自意識は肉に刺さった棘以上のものだ。それは肉に刺さった匕首だ」シオラン(生誕の災厄p.67

 意識は過剰進化のたまものという考えが(どこだったか出典は忘れた)あったと思うが、まさに意識は高度な分析力・知性に付随して発生してきたもの。実際は後付けで理由を示すだけかもしれないが、何らか必要性があったのか・・・いや単なる副産物に過ぎなかったのか…。

 

 それが行き過ぎて、この手の異性関係にも深刻な影響を及ぼす…。

 もはや、結婚生活も特別な努力なしにはなしえないのだ…

 

「各人が、生誕とはひとつの敗北だと諒解するとき、人間の生活はようやく堪えうるものとなり、あたかも降伏の翌朝のような、敗者の安堵と休息のような趣を呈するであろう」(同シオランp.235)

 というように、ある種「愛」(承認欲求ともいえる)を求めて回らなくなった人間にとってこの言葉は慰みにもならない慰みだろう。

 そう、

「人は動機なしにはいきることができない・・・」(同上p.252)ものであり。

「神はある。ないときでさえも」(同上p.247)

と・・・

それで

「各人が、生を享かた最初の瞬間の罰を受けている」(同上p.210)

もので

「人は意欲しはじめたとたん、悪魔の支配下にはいる」

 と。

 

 すなわち承認要求から逃げられない(本書の言葉だと「愛のタンク」や「愛」といった方が良いかもしれないが)。意識の影につきまとう陰。いやそれこそが人生とっても良いかもしれない。

 きえろ・・・きえろ・・・つかの間の灯火!人生など動き回る哀れな訳者に過ぎぬ!とはシェィクスピアのマクベス(訳はいろいろ。役者より翻訳者という訳者のほうがより深刻なので、今回はこちらで。勿論承認欲求の翻訳、訳者としての人生という意味で)だが、まさにそんな感じだろう。

 

 

 「野心と希望には気をつけなさい」とはアーノルド・ベネットの言葉だが↓

 けだし名言だろう。「野心は炭となって消える…」辺りの表現も秀逸だ。

 

 あまりに脱線が過ぎた。

 しかし、スピリチュアル系のこの手の本で「幻想」と一刀両断がある部分は痛快。

素晴らしい。そう「一切は虚妄である・・・」(同上シオランp.244)であるが、それに続く部分のようにそれはなんら慰めにはならないのだ…。

 

シオランはコこちら↓

シオランの優れた解説書としては↓

 

 1章~3章だけでお腹いっぱい。

 その後の一種のテクニックというかテクニックの基本的考えも面白かったが、やはり1章~第3章がとんでもなく秀逸で、今まで読んだ中でこの手の一種の「愛」や「恋」を語る上でこれほど良いものは初めて。

 絶望的な結婚生活を送るか、それとも新しい恋愛に走るか?という二項対立に対して、一種の覚悟を持って、第三の道として、上手な(愛ある)結婚生活を送るには?と畳みかける内容が大変素晴らしい。

 が、そうしなくてはならないほど肥大化した自意識というものへの絶望も脱線ではお送りした。このことは書いていないが、そもそもどちらの項も絶望的であり(前者文字通り絶望の毎日、後者も結局いつまでも短い恋を追い求める…)結局本書のお勧めする道しかないのだが…それもけっして楽な道ではない。だが、愛を求める以上…

 うん!やはり、過剰進化のはてということがどうしても頭をよぎる。本書の本題ではないのだが。

 

 是非読むときは絶望感あるmusicと一緒にお勧めしたい。特に第一章はその方がある種の絶望感を持って読むことが出来る

 

この辺とか↓

 

 

 

 

 他にもいいのが沢山あると思う。

 人類なき後…的なのがお勧め。