学者の評価・・・勉強になります

 ところで、学者の評価とはどうなっているのだろうか?

 と疑問に持って調べてみた。

 営業系であれば売り上げ、経理系ならコストをいかに少なく、経理を正確に完了させるか、難しい会計処理を円滑に完了させたか、企画系であればどんな企画をして、どのような効果があったか、政策系なら政策実現度等、議員も最近質問数とかで出てきた。

 

 さて、単純にインパクトファクターの高い雑誌に論文を載せる(とする人もいるだろうが)学者の役割はそれだけでは無いだろう。

 特に文系は。

 いや、理系でも科学コミュニケーター的な役割も重要だし、政府アドバイザーや、実務よりの人間もいる。

 

 論文のみでの評価はどうだろうか?

 という考え方もある↓

 また、

 

 理系と異なり、文系の場合はそうそう世紀の発見などなく、徹底的に自分でやりたいことを追求するものというような考え方もある

 (これのあとがきなど)

 

  一方、社会的有用性を重視して、内輪で論文の回しで全く無意味なのに意味があるように見せかけているものを批判する見解もある。

 

 10年はビジネスマンでもしていながらアイディアを温めてそれでも書く意義があると思うなら論文を書くべきで、キャリアのための業績稼ぎなど全く意味が無い。云々・・・。というような相変わらずの口の悪さだが、同業者の評価より社会で有用なものを書いているか(おそらく授業のことも含むと思われる)、せめてでたらめを広めないでくれという感じで、学者そのものへ否定的な見解も見受けられる(そういう本人もトレーダーである一方、学者とみられることも多いし、大学にポストもあるのだが)。

 

 こちらに対して以前レビューした本などは、論文一本方向性に読める。著者本人の活動履歴をみると必ずしもそうではないので、あくまでも本のテーマ上の可能性もあるが・・・。論文+同業者評価重視で、世間的評価などは無意味とみているようだ。

 

 

 

 で・・・実際のところどうなっているのか調べてみた

 丁度良い論文があったので紹介

 大学教員の人事評価 (jst.go.jp)

 山本清(2020)「大学教員の人事評価」高等教育研究 第 23 集

 

 これを読むとやはり、海外も含めて、複層的な評価基準であることがわかる。

 上に上げたように、様々な考え方がある中で、複層的な評価になってゆく事はやむ得ないものと思われる。

 

 一部長いが引用しよう

 

 「米国より遅れて適用されたオーストラリアでは先述したように組合は導
入に否定的で適用の歴史は浅いが,実際の人事評価シートをクイーンズラ
ンド大学)について見てみよう.最新の自己評価様式(Form A: Academic 
Portfolio of Achievement for All Academic Staff)は教員について,①教育,
②教育・学習に関する研究活動,③研究,④外部資金と出版,⑤社会サービス,

⑥研修等の項目を大学の定めた指針に基づき記入することになっている.
このうち,教育は①と②の両面にわたるが,②は教育改善のための実践やモ
デル・手法の開発指導であり,すべての教員が該当するものではない.①は
教育コマ数(時間),教育評価,学位授与数,実習などでの指導,教材開発,
教育表彰などから構成される.③と④が通常「研究」に区分される項目であ
り,質にかかる業績(表彰,招待講演,h 指数)など),インパクト(特許,
専門家としての助言,政策への寄与,メデイアでのコメント),共同(メン
ター,国際共同,産学連携),研究補助金・受託研究,出版件数(査読あり・
なし,雑誌ランキング,インパクト・ファクター)から構成される.⑤は社
会貢献に相当するものであり,いずれも専門家として大学代表の仕事,学会
活動,地域活動及びボランテイア活動である.⑥は専門資格などの取得,学
会における継続教育等への参加による専門性の維持向上活動である.」
(山本2020pp.106-107)

 

 やはり論文の掲載雑誌のインパクトファクターも入っているが、それのみでは無い。

 教育もあれば政策への寄与、社会貢献活動も入っているし、ある種の自己研鑽も入っている。

 

 次に、中国についてもあげているのでこれも引用しよう

 なお、これは井上(2018)をこの論文が引いてきているので孫引きになる。

 →井上侑子,2018,『中国の大学における教員業績評価―世界レベルの大学構築を
目指して―』日本学術振興会

 学者であれば望ましくないが(せめて原本当たって、原本からだが)、ブログ記事なので、ここは参考孫引きを許容願いたい。

 

「① 研究(論文,研究プロジェクトの獲得,特許,受賞,専門書,学会発表・
講演など)
② 教育(講義・演習,授業評価,教育プロジェクトの獲得,表彰,学生・
院生指導,クラス担任等)
③ 管理運営(役職,大学行事への参加,特定業務の実施等)
④ 社会貢献(学外の審議会・委員会,学会活動,審査,マスコミ,国政へ
の貢献,国際学会への出席,公開講座等)」

 

 日本と中国は、管理運営が入っているところが特徴的で欧米はない場合が多いとのこと。スタッフと研究者が分けられているからだろうという分析もされている。

 (同p.108)

 →「興味深いのは,米・豪では教員評価に管理運営という項目がないのに対し,日中では管理運営も教員の職務として評価対象にしている傾向である.米英系では大学ス
タッフの職務が教育研究(アカデミック)スタッフと専門的スタッフ及び管
理事務スタッフに区分されており,事務や支援スタッフも教員に対して十分
配置されているからであろう.また,評価と報酬の関連付けは基本給の付加
あるいは賞与として実施され,教員間の報酬差は主として大学・学部・職位
(教授・准教授・講師等)と採用時の評価によって決定される部分が大きい.
現在の職位を前提とした教員に対するモチベーションの誘因制度として運用
されている.」

 

 とのこと。

 最後に昨今、大学の教員に対しての評価が注目を集める理由として同論文の冒頭に端的なまとめがあるので引用する。

「その根源は,高等教育が拡大し,政府や社会からの資源投入が増加した結果,自律的な大学活動においても何をしたかを問う圧力が高まり,評価を通じて成果に関する説明責任を果たす必要性であろう.結論を先述すれば,大学の活動の増加に伴い,自律性と説明責任のバランスを確保する装置としての人事評価の役割を認識することである.人事評価は,能力評価よりも成果・業績に力点をおき組織評価との連動性を持つものに変容している.より高い成果を上げた教員を人事評価で特定化し給与等で報いようとする.したがって,外部利害関係者との関係を扱う組織戦略への活用や業務見直し及び資源管理としての人件費管理の手段としての機能を含むようになっている」(同p.98)

 

 ということで、大学もかなり外部に対しての説明責任が生じてきており、その中核はそこに務める教員(学者)ということになるだろう。

 この学者が果たしてどうなのか、それを広く公表してゆく必要性があるということだろう。

 

 まあ、古いがこちらのデータだと、私立大学ではまだまだ浸透していないようだが・・・

 大学における教員評価制度の構築について|日本総研 (jri.co.jp)

 上に付いている

 日本総研さんのパワポをみても

 141029.pdf (jri.co.jp)

 否定的な声は・・・な一方賛成意見はよくわかるようなものが多い。

 (同パワポp.21)

 かなり体系的に評価がのっていてわかりやすい。

 やはり教育活動、研究活動、大学運営、地域社会貢献の4つが柱で、それに医療系は臨床が加わるというところ。

 (同上パワポp.27)

 

  その他探すといろいろ出てくるが、評価軸もかなり多様で、その多様性をどのように乗っけてゆくかは難しいところ。

 

 まあ、それを言うと営業とて「売り上げ」だけの評価は危険でこれをやると爆弾案件の受注や社内教育をおろそかにするや、短気利益の追求で長期利益を捨てることなど、様々問題があるので何事も、バランスは重要。

 

 結局それは、どこの世界でもかわらなさそうだということ、一般サラリーマンと比べても、まあこんなもんかという感じの評価軸と現状(一般サラリーマンもなんだかんだであまり人事制度は有効になっていると思っていない方が多い、というデータもあるし、実感値もそんな感じだ。学者だけ何か明瞭性があるわけではでは無いようだ。少なくとも日本では)。

 

 ただ、今後説明責任が求められてくる中でどのようにしてゆくかは課題だろう。

 

 少なくとも単一に論文というだけは危険だが、論文という指標はわかりやすし、ランキングというものもわかりやすくて良い。努力方向も明確になる。

 

 そういう意味では、ちゃんと区分を分けた方が良いだろう。プロならプレイヤーなのか、コーチ・監督なのか、スタッフなのか、審判か、解説者か、競技を広める役割を担う人なのか等々、競技団体の人なのか様々な人がいる。

 プレイヤーだけでは競技が崩壊してしまうので、他の役割も重要。

 例えば

 プレイヤー(研究者)は論文+若干の社会貢献活動を中心に評価。

 監督(学科長や学長、所謂お偉いさん)は、社会貢献活動を中心に、後進の指導やプレイヤーの研究資金活動の獲得視点や、メンターとしての役割を中心に評価

 管理スタッフ(あまり大学教員がこれには入らない方が良いが日中ではここも教員が果たしているため)は、大学運営、教育活動、その他諸々の雑務対応(でプレイヤー=研究者が研究に専念できるように)していることを中心に評価。勿論、ここの階層は研究もだろうが。

 審判役はあまり学者ではいないだろうが、当該分野の権威者といって良いだろう。これはもうジャッジ、適切な査読、適当な人を引き上げて、不適当なものを引き上げないなどにあるだろう。勿論審判にもジャッジの責任と評価はあるから、このジャッジが下手であったかどうかを評価軸だろう。あまりに酷いときは権威からも転げ落ちることもあるだろう。評価を下す評価者という意味もあるかもしれない。

 解説者は、主に科学コミュニケーターや当該分野の解説を中心とするものが該当するだろう。特に専門外の方に分野をわかりやすく解説することは重要。その為、ここに該当する学者は、教育活動や、出版が重要だろう。勿論本人の業績がどうであるかも重要なのである程度論文の比率も高くはなる。ただ、メインは一般向けの書籍や講演、社会貢献活動などで当該分野の知見を社会に広めることだろう。政策アドバイザーなどもそれに当たるものと思われる。

 競技を広める役割を担う人も解説者とほぼ同じだろうが、より一般目線で、学生を集める役割などもあるだろう。

 競技団体の中の人は、学者では学会運営や大学運営など、この辺になるだろう。この辺もいないと回らなくなる。こちらは社会貢献活動を中心に評価になるだろう。

 

 と、いった感じに評価ウェイトは求められる役割に応じて重みを書けてゆく事が必要だろう。

 

 営業でも駆け出しと、ベテラン、マネージャーでは求められることが違うということと同じともいえるだろう。

 学者はよりその辺、よく考えないとということだろう。

 

 そして、現実は全部ちゃんとやる人と、全然やらない人に二分している可能性が・・・。

 (いや、わからんけど・・・。イメージです。結局バリバリ論文書いて、学会活動して、大学運営もしっかりして、教育コマ数も多く持っているバリバリの方と、真逆の方がいるイメージ。せめて、どこかだけは頑張っているだと良いのですが・・・。社会活動も結局優秀な方の方が積極的だし、優秀なので政策アドバイザーや、一般への啓発系にも依頼されて・・・という感じ。一般企業のような働かないおじさん問題が学者の世界であるかはわからないが、この働かないおじさんと同じところが激しい批判を浴びて、特に文系の評判を落としている気がする。文系でも、バリバリの人は結構いる)。