(続)AI以後 

 

 爆速変化の中にいると案外気がつかないものだ

 

 もしかすると民主主義も…

 

 

 相手がAIであるかどうか

 

 

penginsengen.hatenablog.com

 『人はなぜ物を欲しがるのか:私たちを支配する「所有」という概念』
 同書p.279「仮に人間と識別不能レプリカントを作れたとしても、人々は相手が本物の人間かどうかをつねにチェックしようとするだろう。人間の本質を備えた正真正銘の人間だけが、ほかの「人」とつながりたいという私たちの基本的な感情的欲求を満たせるのである」

 

 というとおり、非常に重要だが、見分けがつかなくなるだろう。

 会うことの価値が上がるかもしれないし、人間類似ロボット開発禁止が出てくるかもしれない。

 

 されに先ほどの、AI責任について、さすがに開発者責任というわけにもいかない気もするし…自然災害と一緒のやむ得ぬものとみるというのもあるかもしれないです。
 (私は使用者責任か、公共責任論ですが…)

 責任をとらない、場合により天災と同じようにAIに責任を押しつける場合・・・こうなるとAI生成物に関しての権利だけ主張もバランスがとれないことから、権利も責任も無くしてAIが…という方が良いという感じもありそうだろう。AI保険(すでに考案はでていた気が…)や、公共AI(これは提唱もされているようです)、等々ちょっと新しい仕組みを考えてゆくと時期かもしれない。


 
 AI以後は、頭の良さや検索力、情報収集・整理、まとめ、文書作成能力、お絵かき能力、音楽…あらゆる分野のものが、今でいう「足の速さ」と同等になる。

 多少役に立つこともあるし、もしかしたら競技にはなる(E-メール早打ちゲームとか)。また趣味でランニングやマラソン大会に出る人、健康のために走る人はごまんといるし奨励されているので、頭の体操として、文章を人が作ったりという趣味はのこるだろう。

 それこそ、羽ペンや羊皮紙も未だに趣味で残っているように

 

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 ちなみに、本当の羽だけの羽ペンで書くのは大変…、羊皮紙にこれで書くなんて…パピルスだがアリストテレスもとんだ難儀しながら書いたのだろう…。羽ペンとインクと羊皮紙よりもっと前のもので書いてたんだぞ!!

 と思うのは現代人。当時はそれが当たり前。それでうまく書く技術もあった。今はそれが無くなっただけ…。

 文書作成もそれに近くなるかもしれない。みんなAI画が作成するので、昔の人はすごいね~という感じのややロストスキルに(さすがしばらくはものを書く人はいるだろし、作家という人は残るだろうが、ごく一般人はという意味で)なるだろう。

 

 おそらく、多くの知的作業も同じようになるかなと予測する。頭の健康のための文章を書く、というそういう感じで残るのみかと。
 まもなく多くの知的作業は「足の速さ」といったものと同義になってゆく。決して、早いことが悪いことでは無いが、機械には原則的に勝てない。
 車に走って勝てないのと同じだ(勿論、走る方が車より小回りがきくなどメリットもあるなど限定的なところでは勝てることもあるが基本的には人が勝つ部分はほぼ無い)。

 そうなってくると一種の健康のためや趣味になってくるだろう。

 そしたときに、権利と責任はどうなるか。その辺の仕組みは考えておくと良いかもしれない。

 

 5年後には、「文章に誤変換がある!ということはAI使わずに文章作成してますね!!」という話になるかもしれない。かえって温かみがある等となるかもしれない。

手書きが良いと同じように、もしかするとAI使わないで書くことが誠意を見せることとなるかもしれない。いや…すすがにメール文面では分からないので、やはり手書きか…。

(以前紹介したキャバ嬢の話では無いですけれどね…個人的には紹介したその件はねつ造も疑いますが、確かにすでに営業メールはAI等Chat GPTに任せた方が良い気はします。得意客のみ手動というのはなんかありそうな気はします)。
 ということで要点は
 ①メールうちなんかも将来はEスポーツの一つになるかも。昔は考えられなかったものが後々はゲームになりますので…今の仕事の大半はゲームになるかもというところです。
 ②権利論と責任論はより大きな話になってゆくだろう。考えておく必要性がありそう。
 という2つでした。
 (Chat GPT等AI不使用)

 

 (何か、AI不使用証明みたいなのが本当に出てくるかもしれませんね)。

 ということで、認証や標準に話をふると、AI不使用認証(EUで少し議論あった気がします)や、何かAIを使っていないということへの証明標準技術というのは逆にあり得る可能性がある。メール見ただけでは使っているかどうか不明であり、相手がAIか見分けがつかないと…。そういうビジネスチャンスとしてアナログ系を攻めてみるのもあり得るかもしれない。反動は必ずある。未だに万年筆や羽ペンが生き残っているなどクラシカルなものはそのクラシカル性で生き残っている。そちらをニッチ市場だが照準を合せておくのも一策かもしれない。

 あらゆる意味で激動の時期といえるだろう。