最近こういうツイートを見つけた
いくらAIがすごくても責任を取る事は人間にしかできないみたいな話があるけど、たしかにもっともらしいけど、本当かしら?と思わなくもない。AIに責任をなすりつけだす風潮も大いに出てきそうな気がしてならない。孫泰蔵さんは、将来AIの暴走で大災害が起きても自然災害と一緒だから諦めるしかない的な…
— うみゆき@AI研究 (@umiyuki_ai) 2023年4月24日
この視点は無かった。
責任論はと思っていたが、この手の考え方もあるかもしれない。さすがに開発者責任というわけにもいかない気もするし…自然災害と一緒のやむ得ぬものとみるというのもあるかもしれない。
AI以後は、頭の良さや検索力、情報収集・整理、まとめ、文書作成能力、お絵かき能力、音楽…あらゆる分野のものが、今でいう「足の速さ」と同等になる。
多少役に立つこともあるし、競技にはなる。また趣味でランニングやマラソン大会に出る人、健康のために走る人はごまんといるし奨励されている。
おそらく、多くの知的作業も同じになるだろう。頭の健康のための文章を書く、というそういう感じかと思われる。
まさに下記の頭の体操しましょうというものと同じだ。
それはそれで良いだろう。
一種責任もとらなくなると、本当にホモ・ルーデンスの話になるかもしれない。
それはそれで良い世界かもしれない。
いずれにせよ、責任論はともかく、まもなく多くの知的作業は「足の速さ」といったものと同義になってゆくだろう。決して、早いことが悪くはないが、機械には原則的に勝てない(勿論、走る方も車より小回りがきくなどメリットもあるなど限定的なところでは勝てることもあるが基本的には人が勝つ部分はほぼ無い)。
そうなってくると一種の健康のためや趣味になってくるだろう。