まず1
ある意味歴史の人物といえただろう。
メモメモ
後は
売れっ子の斎藤教授 実証性あるのか?等々疑問なことも多いのだが、今回は本人の主張がある程度の説得性(あまり科学的ではないが)あるかたちでまとめられている。
切り抜きしながら少し論評してゆく。
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「何もいわれなければただ絵を見るだけですが、「3枚買ってもらえる」といわれると、子どもは真剣な目で作品を見るようになります。真剣に見る中で、自分の好みやセンスを培っていきます。」
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これは確かに、バイヤーの視点があるのと只見るのではまるで違うだろう。
「鑑賞」ではなく購入するつもり、というのはかなりよい視点ではないか
全体的に↓に近い主張を感じた。
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「図書館で本を借りるのもよいですが、身銭を切ると、本との関わりが深くなるのは間違いありません。 そもそも私自身は、図書館で借りてきた本を読むことがうまくできません。図書館でしか借りられない資料もあるので、図書館の存在はありがたいと感じています。でも、借りた資料はすべてコピーしてからでないと、どうしても読めないのです。借りた本が読めない理由の一つは、本に書き込みをする習慣があるからです。でも、それ以上に、借りた本を返すと、読んだ記憶が失われてしまうような感覚があります。本を自分の所有物にしないと、心が落ち着かないのです。」
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お馴染みだが、記憶は関連性が重要だ。本の背表紙をみると記憶がよみがえるということもあるだろう。逆にものがないと忘却してしまう。そいう意味で、本所有というのは中身を覚えておくためにも必要だろう。
一例参考
ここはきちんと科学的な根拠も入れて、本という物そのものが手元にないと記憶も消えるという主張はしてもよいだろう。感覚論、個人の感想では無く、記憶メカニズム的にも、ものを持っておいた方が良いという主張は出来るはず。
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「本を読むにはそれなりのエネルギーを要します。自分なりに解釈すると、エネルギーを使った分、読んだという事実を記念する品を求めているのだと思います。 文庫本なら1冊せいぜい数百円ですから、数百円で記念品が手に入ると思えば安いものです。購入して自由に線を引き、自分の物にしたほうがいいに決まっています。 また、身銭を切るわけですから、買うときにかなり本を吟味します。そして、買ったからには損をしたくないと思い、本の内容を自分の血肉にしようと、真剣に読むはずです。借りた本では発揮できない集中力でもって読破できるはずです。」
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個人の感想です。にはなりかねないが、身銭を切るの部分はそれなりに説得力あるだろう。しかし、エネルギー使うので、買っていないものでも吟味はするだろうし、身銭は切っている気はする。また積読を考えると、買うことで満足してしまうこともあるので、かえって期限がきまっている方がちゃんと読んで記憶しようとするという、そういう方向もあるようには思える。いずれにせよ、面白い主張だが、実証性はない。
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「でも、作品によってはあえてBlu-rayやCDを購入しています。映画や音楽の内容を自分に刻み込むには、所有物にすることも大切なのです。」
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今度は、音楽。やはりものとの関係で、所有は重要という視点。
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「その点、カフェなら眠くなる心配はありません。いろいろな人が思い思いの時間を過ごしており、資本主義社会のただ中にいるというか、この世を生きているという実感が得られる空間なのです。」
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この辺は図書館は異世界、カフェは現実世界という点を資本主義社会も交えて論ずるのは面白い。ここは面白い視点ですね、という以外ないが、文学研究者らしいところ。しっかり資本主義というのを書いているのも身銭を切る話と合わせて大変よい。
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「私はCDの購入がアーティストの創作活動への貢献であると考え、令和の今もせっせとCDを購入する人間です。外でも音楽を楽しめるよう、所蔵しているCDをパソコンに取り込み、わざわざウォークマンへと転送しているのです。 カフェで過ごす1時間、しばしばリピートするのがB'zの『LOVE PHANTOM』という楽曲です。新幹線で移動する際は、4時間近くリピートすることもあります。 1曲を3時間も4時間もリピートするのは、ちょっとやりすぎかもしれません。けれども、同じ曲をリピートしたほうが、明らかに集中しやすいのです。」
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同上、物の購入について。また記憶定着の観点からも同じ曲をリピート続けるのは効果ありだろうし、している人も多そうな話だ。
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「テレビ中継の視聴者は、試合を俯瞰視点で見ています。プレーの振り返りをVTRで確認することもできます。そこで修正ポイントに気づくことが多いのですが、実際のピッチに立つと視点が限定されるので、気づかないことが多いのです。」
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今度は俯瞰視点に。
この辺はそうだろうと言うほかない。
今回の記事だと「傍目八目」という気しかしないが…
以上、2つほど記事を持ってきてコタツ記事でした。
ただ、コタツ記事では…ですね。やはりちゃんと自分でも取材というか、地道に歩いてきたことを書かないと。これからは何でもAIで出来てしまうので、そういう中で多少価値のあることは、まだネットにでていない一次情報を拾ってくることになるだろう(それは身近なタウン情報でもいいだろう。ある意味超ローカル紙はそれで成り立っている。ほぼ訃報新聞になっているローカル紙もあるが、近所の訃報がわかるだけでも役立つことも多い)。
よほど特殊な論評でないと、AIですぐにかけてしまう。そうでないのは現状実況だったり、超ローカルな一次情報だったり…そういう話だろう。
そんなことも思いながらのコタツ記事でした。