「政治学」論争をよこめに見ながら・・・論考

 ツイッター有斐閣の「書斎の窓上」で政治学についてのあり方論争が起きているようだ。

 

 

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 こちらの久米先生原稿で名指しで批判されたキ木村教授が次の

 

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 で反論原稿を行い氏お得意のツイッターも駆使して反論しているというところである。

 

 さてさて、政治的なことを書きながらここのブログ主は政治学はあまり詳しくない。久米先生の「原因を推論する」は非常に面白く拝読させてだいたし、名著だと思うが、その程度だ。後は法学系統と経済学系統からの接近が主だ。

 

 カールシュミット的な政治観により、誠司そのものの固有領域はなく、他の領域での対立が高まった結果、政治的対立へと至るというのが私の基本的政治観といえる。

 参考↓

 

 なのでどちらかというと久米先生を経済学者的、因果推論や統計に基づく事象解明の学者、木村先生はオリックス学は冗談として、韓国の地域研究者という枠組みで捉えており、そもそも両者に深刻な対立があることを把握していなかった。

 

 そういう意味では、意外な論争であり、「あちら」と「こちら」というのはよくわかる分断線である。

 が、一点わからないのが、分断線は分断線として別々に出来ないのだろうか。特段政治学政治学の学会のみでの覇権争いをしなくてはならないという道理はないはずである。

 マルクス経済学者と計量経済学者は経済学と言っても水と油、陣営も違う。でも「経済学」というくくりの中であることはある程度合意はあるだろう。双方、相手方を相当蔑視するきらいはあるが、それはそれという感じに思う。又たまに両者を行き来する人もいる。

 政治学は、久米派政治学で、その学会。木村派政治学で、その学会。というような棲み分けは出来ないのだろうか。素朴な疑問であり、ポストがどうのこうのあるのかもしれないが、双方自分たちの優位性を示すこと又は独自に有益性がアピールできればよいはずで、比較政治学内での覇権争いはどうなんだろうかと思う。

 そもそも地域研究は地域研究で、因果推論や統計分析は、そちらでと別々で場合により共同研究はあるとしても、そうすればよいだろう。後は必要に応じて連携したりすればよい。

 

 この論争なんだろな?というのが正直なところ。

 

 例えば「地域比較政治学」と「統計比較政治学」と別々な方法論と学問があると言うことで(両者おおくくりとしては政治学)、それで棲み分けできないのだろうか。

 

 いや、木村先生の言いたいことがわからないわけではないのだが、統計系と非統計系では、話がかみ合わないことも多くなりがちで、それは方法論的相違にすぎない。であれば、方法論が違うので別学会でというのはありだろうし、必要に応じて双方で連携するということで、ある程度分断線は解決できるのではと思う。