公共放送を考える

 ということで、まずはこちら

 

 

www.nhk.or.jp

 これで、必要ない!とか疑問を呈するとか、書いてあったら捧腹絶倒なのだが、そんなギャグはかましてくれないNHKであった。

 で何と書いているかというと…↑引用

 公共放送は必要であると考えています。
インターネットの利用拡大やモバイル端末の急速な普及により、さまざまな情報が瞬時に人々の間を駆けめぐり、多種多様な情報が国境を越えて激しく行き交う時代に入りました。一方で、不確かな情報の拡散や、お互いの“つながり"の希薄化を指摘する声もあります。広く世界や日本の課題を共有化し、正確な情報で人と人を互いに“つなぐ"というメディアの公共的な役割が、ますます重要になっていくと考えます。

 よくわからんという書き出しだ。

 後段と前半にながりがなく、無理矢理「つなぐ」というキーワードで結びつけている。ウィキだったら「お互いの“つながり"の希薄化を指摘する声もあります。」要出典となるだろうし、誰かがそういうことを言ってます、だったら何とでもいえる。例えば「地球は平面であるという説も唱えられています」としれっと書いても間違いではない(事実そういう主張をする人たちはいるし)。実際は接続過剰ともいえる状態だし、つながりの意味が不明なのでなんとでもいえる。

 要は空文的なものだが、まあ、前文なのでなんかそれっぽいことを書くと言うことでそれでいいのだろう(公共放送がそれでいいのだろうかという問題はあるが)。

 ところで、公共放送は正確かつ、人をつなぐものなのだろうか?やはり前提条件で公共放送=正確とか、そいうものを織り込んでいるので、こうなるのだろう。現実的には公共放送も正確ではないし、人が介在する以上ある一定のバイアスは逃れられない。前提からして疑問符があるところではある(とはいえ、公共放送は様々な視点の方に公平に出演いただいております、というのであればわからなくはない。実際は…相当セレクションがあり、どう見てもそんなことはないのだが)。

 とはいえ、あんまり揚げ足もよろしくない。

 そういうものだと考えよう。続けて

 公共放送であるNHKの使命や役割は、視聴者のみなさまからいただいた受信料をもとに、放送の自主自律を貫き、視聴者の判断のよりどころとなる正確な報道や豊かで多彩なコンテンツを全国で受信できるよう放送することで、「健全な民主主義の発達」や「公共の福祉」に寄与することです。 緊急災害時には大幅に編成を変更し、正確な情報を迅速に提供するほか、大河ドラマ紅白歌合戦のような関心の高い番組だけでなく、教育番組や福祉番組、古典芸能番組など、市場性や視聴率だけでは計ることの出来ない番組も数多く放送しています。これは広告料を主な財源とする民間放送や、税金で成り立つ国営放送ではなく、視聴者のみなさまに負担していただく受信料で成り立つ公共放送だからこそ実現できるものと考えています。

 なんか私の過去の主張↓を認めて頂いている部分があってうれしい。

 

penginsengen.hatenablog.com

 

 そう、公共放送でなくとも「大河ドラマ紅白歌合戦のような関心の高い番組」は逆説的に民間でも良いと言うことだ。だいたい、「教育番組や福祉番組、古典芸能番組など、市場性や視聴率だけでは計ることの出来ない番組も数多く放送しています」と逆にいえば、、「市場性や視聴率だけでは計ることの出来る番組も」放送していると言うことのようだ。日本語の読解がおかしいだろうか?そもそも、「だけで」などと言うのはそうそうなし、民間でも国営でも同じだろう。ちゃんと国営放送にも触れて頂いているのはうれしい。そう、税金だとそういう市場性のあるものはNGだからね。なのでそういう部門は国営にして、収益部門は民間にしようと提案している。二つに分ければ、「緊急災害時には大幅に編成を変更し、正確な情報を迅速に提供する」=国営、「大河ドラマ紅白歌合戦のような関心の高い番組」=民営、その他市場性の無いが必要なもの=国営と分けることができる。

 というか実質、税金化している公共放送は公共放送といえるのだろうか?やはり、国営と民営(そもそもケーブルテレビモデルがあるので広告料モデルに頼る必要性はないだろう。ようは見たい人がお金を払ってみれば良い)。

 それで締めは

 今後とも視聴者のみなさまに、公共放送の必要性について放送等を通じてご理解をいただくよう努めてまいります。

 ということで、公共放送で公共放送のプロパガンダかけるそうだ・・・。おいおい。

 

 そもそもNHKが公共放送と言いうるものかという問題もあるし、収益が一定である以上、コストカットにしかインセンティブが向かないこと、「放送の自主自律を貫き、視聴者の判断のよりどころとなる正確な報道や豊かで多彩なコンテンツを全国で受信できるよう放送することで」とあるが、その後ろは華麗美句として、放送の自主自立が正確な報道とどうつながるのか、そもそも自主自立とは

「自主自立(じしゅじりつ)」の意味や使い方 Weblio辞書

自主自立

読み方:じしゅじりつ

自主的であり、且つ他人などの世話にはならずに自分の力だけで独り立ちしていること、などを意味する表現
 国のおかげで受信料もらっているが・・・これでも自主自立というならケーブルテレビなども同じだろう。
 「視聴者の判断のよりどころとなる正確な報道や豊かで多彩なコンテンツ」これも疑問符はつく。
 そもそも正確性と豊で多彩なコンテンツはある程度トレードオフがあるだろう。
 
 といろいろいいたいことはあるが、やはりそれなりの作文をしているだけといえるだろう。
 
 そこの作文にごちゃごちゃ突っ込むのは野暮なのかもしれない。
 
 まあ、その辺はいろいろ論考も出ているので参考までに
 

slownews.com

 岩波らしく、左系だが

 なぜ、この「権力から自立して権力を監視する」機能が抜け落ちたかといえば、NHKの歴史のなかに、個々のジャーナリストや制作者の闘いはあっても、NHKとして公権力に対峙して、国民の「知る権利」や言論・表現の自由を守るために闘った実態がないからである。つねに〝永田町〟(自民党)の動向に気を遣い、政府の政治介入に妥協と譲歩を重ね、自主規制に終始してきた。そんななかで〝権力監視〟の意識が育ちようがないのは当然であろう。

 これなら国営の方がすがすがしく良いのでは無いかというぶったたかれようだ。

 その根底にあるのは、公共放送が、そもそも市民社会の原理に根ざし、市民自身によって市民のための「公共圏」を実現・確保するための自治的で自律的な放送システムであることへの理解の欠如である。

 要はNHKさんはそもそも公共放送という概念を理解していない、というものだ。これはよくわかるし、先ほどの公共放送は必要だというNHKの説明を見ても(実はこれでも後段で見るようにカイゼンされているのだが)、公共放送がなんだかわからないのも頷ける。

さすがに、本書(前著『NHK』)などの指摘でNHKもその矛盾に気がつき、二〇〇六年以降の公式文書では公共放送としての「目的」に、放送法第一条(放送の目的)の〝権力から自立して、民主主義の発達に資する〟使命を明記するようになった。たとえば、〇八年にNHKが新たに制定した「倫理・行動憲章」の冒頭には、こう書かれている〔傍点は新たに加わった部分=筆者〕

NHKは、公共放送としてと文化の向上に役立つ、豊かで良い放送を行うことを使命としています。

(中略)

 

だが、言葉だけを付け足せばいい、というものでもない。

なぜ、NHKが公共放送のこの根幹の機能を欠落させた解釈をとってきたのか。それは、電波三法(第2章参照)が新憲法のもつ「市民社会の論理」に立脚し、放送が権力から自立して、言論・報道機関として権力を監視し、民衆の「表現の自由」の実現や「言論の自由市場」の形成など、「ジャーナリズムと文化のメディア」として民主主義に貢献することを中心課題に据えていたことの意義を、正しく認識していないからである。

 もはや語るまい、というぐらいにコテンパンだ。自主自立にかみついたが、これでも前進しているとのこと。ただ書いてみましたと言うだけとの論評だが・・・

 

 後はこちらをどうぞ

 

 

 

 

 次にどちらかというと反対の右系を見てゆこう

 今の「NHK」は公共的役割を果たしているのか | メディア業界 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)

 

 ちなみにこういう姿勢がNHKに足りないことが多いのがそもそも問題。右の方、左の方と両方出せばそれなりに良いものを実際は公平と称する、キャスターや論説委員有識者酷いと1名などという、全く公平でも、正当でもない番組が多数ある。せめて、対立する両者を出してほしいものだ。民間番組でさえ、たまに右・左ちゃんと出ることもあるのだから、公共放送は何にせよ、右・左、与党と野党双方の主張を出すべきだし、何ならコメンテーターでそれぞれそういう属性の人を用意して公平に意見を述べさせるようにするべき。

 と前置きが長くなったが、まず高橋教授は経済学にしたがって公共財を説明し、公共放送について

 放送についても、同じことがいえます。「準公共財」にあたるNHKが「公共放送」の名にどれほど固執したとしても、国民の一部にしか恩恵をもたらさないメディアであれば、受信料というかたちで公費を支出する理由はありません。多くの国民が賛同し、広く便益を与えることが、真に「公共」の名に値する放送です。

 とする。まあ、NHKをこき下ろす著作もある高橋教授なので、これに続くものは言うまでも無いが・・・、この記事ではおとなしめに

 NHKが番組を放送するうえで、本当に受信料という「公費」を払わなければならないのか。CMを入れてはいけないのか。インターネットの配信では駄目なのか。これらの問いは今後、NHKにますます重くのしかかってくるはずです。

 中略

 もちろんNHKは現行の放送法で広告収入を得ることが禁じられているので、放送法の改正は当然、必要です。インターネット同時配信サービスが普及した時点で、黙っていても放送法の改正を求める声が視聴者から上がるでしょう。

 中略

2017年度のNHK受信料収入6889億円のうち、徴収コストは735億円で、収入の1割超が契約や徴収の経費に費やされています。735億円ものお金を無駄な費用と思えないとしたら、やはり常識的な経営の感覚から逸脱している、といわざるをえません

 としている。

 後は、こちらと言うことだろう。タイトル通り・・・

 

 いわば右系なので、後はタイトルから察することができるとおりだろう。

 

 以上のように、左右どちらからもNHKは公共放送なのか??という疑問を突きつけられ、そもそも公共放送が必要か?というなか暢気なNHKといえるだろう。

 

 半分国営化(公費投入が正当化される部分)とケーブルテレビ化で分割新生することが良いのではと思う。