ペンギン宣言!!

 一時期「ペンギン女子」(あるいはペンギン系女子)という言葉が流行った。何も見た目がペンギンみたいということではない。

https://www.machicom.jp/magazine/posts/5024

によると、

・物事に対して冷静で落ち着いて対応できる

・芯がある

・控えめな自己主張

・恋愛に慎重

・空気を読むことに優れている

 

 だそうである。

 

 さて、モテるかどうかさておき、上記は日本において生き抜くうえで非常に重要な点を示して言えるだろう。

 

 本プログも「恋愛に慎重」はともかく、「物事に対して冷静で落ち着いた対応」「芯をもって記述する」「控えめな自己主張」(それでも主張はする)「空気を読む」を(筆者はいずれも苦手であるので実際にできるかどうかは別として)心がける様にして、このような態度を「ペンギン的態度」と呼んでいきたいと思う。

 

 いきなりなんだという話かと思うが、本プログは論争を呼びやすい、政治的・思想的内容を取り扱うつもりである。その為、その方面のことに目をふれたくない方は早急な離脱を推奨する。

 

 そのような内容を記述する上で、上記のような「ペンギン的態度」は極めて重要であり、今日のその方面の議論においてかけている態度であると筆者は思っている。

 

 また、本来このようなペンギン系女子的特徴は右派・保守主義者が多く持つ特性であったはずであった。しかし、今日のいわゆる右翼や保守主義者はいずれもこのような態度から大きく逸脱しており、挙句の果てに右派=ヘイト陣営、というか「特亜」と彼らが呼ぶ勢力圏並びにそのシンパを攻撃する者が右派(正確には「ネットウヨ」と呼ばれているが、現実的に両者はもはや区別されなくなりつつある)と認識されつつある。

 

 いわゆる「サヨク」の理論的崩壊は現実のものであるが、相手方の自滅を喜んでいるうちに右派側の理論崩壊も進んだのではないか。そして、昨今左派系陣営は必至の巻き返しを図っており、理論的崩壊を乗り越えるべく様々な努力を水面下では繰り広げてきた。一方右派はどうだっただろうか?

 いつのまにか日本の「右傾化」等と朝日新聞に持ち上げてホルホルしているうちに確かに数は増えたが、もはや本来の右派・保守主義陣営的要素は大部分が消滅し、いつの間にか「サヨク」の理論まで用いるようになった。

 もはや現在の日本の右派・保守主義陣営は「ネットウヨ」を中心とした、特亜陣営をひたすら罵倒するだけの存在に成り果て、その姿は本来彼が毛嫌いした日本をひたすら罵倒する「サヨク」のそれと対象が変わったのみで何ら変わりない。

 

 せめて、現場部隊はそうかもしれないが「理論面で著しい深化がある」という状況であれば良いのであるが、筆者の診るところ、ほとんどそのようなものは見当たらない。「サヨク」の悪口程度であり、例えばロシアの「新ユーラシア主義」のようなイデオローグ付きの、それらしい理論がでできているわけでもない。悲観すると安部総理の「美しい国」という実態がいまいち不明で政治的スローガンが、近日の大きな右派理論の様にも覚える(この点、筆者の力量不足で近時有力な日本における右派理論があるようであれば是非ご教示願いたいと思う)。

 

 さて、そんな中で、「ペンギン宣言」というかたちで本来的右派・保守主義のペンギン的態度、ペンギン系女子ならぬペンギン系政治家というかペンギン系政治思想・ペンギン系理論を目指してというのが、本プログである。

 

 要は、右派・保守主義※が「ネットウヨ」と区別がつかなくなりつつあり、右派というと特亜への非難をすることを意味する様になってきていることへのささやかな抗議を(世間的に全く無意味であるが)ここでしておこうというものである。

 

 無意味とはいえ、「加速主義」は論文よりもこういうブログを基に発展してきた思想であり、なにか書き続けていれば、誰かが反応して、何かにつながるのではないかと思っている。

 

 実際、筆者自身も遠い国の誰が書いたかすら怪しいものに大きく助けられたこともある。向うはまさか遠い日本で自分が書いたものが参照されるなどと全く思っていなかったはずであり、恐らく実際に会うことがあってもお互いに気が付くこともないだろう。だが、それでよいのだと思う。書かれたものは既にその人自身を離れるものなのだから。

 ということで、一応、自動翻訳の英文(要は自動翻訳の精度アップ用にここの文章を使うという目的もある)も一緒にブログ投稿しておこうと思う。全く無意味な記事が、世界のどこか誰かにインスピレーションを与えるという奇跡的可能性をほんのわずかに妄想して…。

 

 

 ※勿論、多くの右派・保守主義者は「ネットウヨ」と自分たちをわけてほしいと思っているし、その為の「ネットウヨ」という用語であることも理解している。しかし、近時左派と異なり日本の右派はそれなりに聞こえる新理論を打ち出せていないように見え、現実的に訴求力を持つものが陰謀論や特亜叩き、左派叩き、メディア叩きばかりで、このままでは右派とはそういう他者を叩くことで成り立つというイメージが形成されてしまうだろう。あるいは政権べったりというイメージ、何もしない非活動的態度というもの。これらは本来的右派・保守主義とは異なり(勿論憲法を変えることも本来的保守主義の枠でもない)本来的意味での右派・保守主義的理論枠組みを振り返りつつ、新しい保守主義もといい、上述ペンギン系思想、ペンギン主義とでもいうべき考えを発展してゆくことが肝要であると考えている。

 

 

 それでは、本プログでは便宜上、「ペンギン主義」に統一して記載しようと思う。

 

 改めて、ペンギン主義とは? 

 本プログにおける「ペンギン主義」とは、上にあげた「物事に対して冷静で落ち着いた対応」「芯をもって対応する」「控えめな自己主張」(それでも主張はする)「空気を読む」というものであり、これに「(そもそも自己主張控えめなのでその中で入っているともいえるが)革命的、何かを一つの方策で解決しようとしない=少しづつ改良をする」という姿勢を指すこととする。

 要は本来的保守姿勢のことである。

 が、「ネットウヨ」等に汚染された現在の右派・保守主義の現状では、世間一般に、保守主義の本来的あり方として提示しても理解しがたいであろう。そこで軽めのファッション記事を基とした「ペンギン」という言葉を用いて、再度右派・保守的(なうち良いもの)を取り出したものを「ペンギン主義」として、控えめに主張してゆきたい。

 

 一人で勝手に「ペンギン主義宣言!!」等としていても無意味であろうが、とはいえ何か書いていると思わぬこともあり得るし、日常で右派・保守主義が明後日の方向に飛び立ってゆくことはみていて非常に残念であるので、無駄な抵抗であってもここで書き連ねておくというわけである。

 

 当の本人がペンギン主義的でなくならないように気をつけながらも、いろいろ書いてゆこうと思う。