今度はシュミット的に

以前はシオランぶって

 

 

penginsengen.hatenablog.com

 書いてみたが、今度はシュミットぶって

 「AIに敵味方の識別を任せてはならない。あくまでも自らが政治的に何が敵で何が味方かは主観的に決定するほかない。それの決断こそが生きるということだから・・・」

 

 とか言ってみようか。

 

 東氏の新刊のあとがきも少し参考にしながらだが…

 

 前回のシオランぶった

 「人生とは、安いコンビニ飯を食い、くだらない誰のためにならないつまらない仕事で金を稼ぎ、無意味な娯楽に浪費してゆくもの。結局その程度のものだ…」

 というのも結局、意味論的、一つの解釈に過ぎない。

 逆に書くこともできる。

 すなわち

 「人生とは、旨い飯を食い、皆のためになる仕事で適正な金を稼ぎ、それを有意義に投資してゆくもの。すばらしものだ!」

 といった感じに逆転も可能だ。

 

 その点

  「AIに敵味方の識別を任せてはならない。あくまでも自らが政治的に何が敵で味方かは主観的に決定するほかない。それの決断こそが生きるということだから・・・」

 は少し解釈といういうより単にそのままシュミットをなぞってみただけかもしれないが…それでも、どう解釈するかの決定論ともいえるので、より深刻なはず。

 

 シュミットをなぞっているので「敵・味方」となるが、どう解釈するかという意味でも良いかもしれない。といってもやはり「敵・味方」の議論の鋭さは活かしたいとは思うが…。

 

 まあ、単なる中二病的なことを言ってみただけともいえるが。

 

 どこかに完全に類似があれば残念だが、とりあえずオリジナルで思いついたぶった台詞と考えてもらえればと…

 

 

 まあ、誰かに話すというより独り言だが。

 

 どのみちあらゆることを、どう解釈するか、おのおの主観的に決定をするほかないだろう。

 決断こそが人生だといえるだろう。

 

 結局多くは幻想の中で、それでも決断は必要だろう。

 

 お馴染み幻想シリーズ(???)はこちら

 

 

 

 

 まあ、下記で指摘されているように、何でも幻想と言い出すのもまた、一つのポストモダンの・負けた側の慰みから派生した、一つの問題ある態度かもしれないが(注意:小坂井氏がそうだと言っているわけではない。そこから派生していったものがという意味。幻想を幻想と指摘すること自体は正統) 

 そして世界は地獄となる…

 

 

 で、もう一つの極(?)は権威主義自由主義へと…

 

 シュミット=ハイエク主義の時代へ

 

 もといい、行き過ぎた自由主義は結局、一種の権威主義へとなってゆくほか無い。何も座標が無い中では、結局、伝統とかそう言うものにすがるほか無くなる…

 (参考↓)

 

 そして、それを訂正するものは哲学なのかもしれない(?)

 

 

 

 

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 以上、とりとめも無かったが…