最近この手のほのぼのものがはやっている

 ある種世相を反映しているのだろう

 

 

 最近この手のものははやっている気がする

 

 うーんかわいい

 イベントもあるらしい

www.hmv.co.jp

 でこちら・・・

www.kadokawa.co.jp

ちょっと懐かしい匂いのする八魚町で子ザメちゃんの小さな大冒険が始まる!

夏の日のサイダーにチューチューアイス
ラジオ体操にお祭りの屋台、
そしてお友達とのとっておきの場所。
子ザメちゃんの目に映る世界は
こんなにもキラキラ輝いている――!
ちょっぴりレトロでちょっぴり切なく、
そして最高に温かいショートコミック!

 

 というと、調度これを思い出す。

 

penginsengen.hatenablog.com

 瀧本氏のこの懐かしい感じへの批判というか、夕日の・・・に戻ってはいけないという主張だ。

 片一方フイッシャーのような論考もある。

 

 この手のほのぼのと殺伐…。世相を反映して、この手のほのぼのもはやってゆくだろう。それはある種、ライトな反資本主義的、ゲマインシャフト的なものとして…。

 

 そういう意味でも良くマーケティングされているともいえる。

 

 戦略的逆説、あるいはシェークスピア的な「綺麗は汚い、汚いは綺麗」(マクベス)か。

 

 なかなか考えさせる。

 

 ここで、シオラン

 「ひとつの国を深く知りたいと思ったら、その国の二流作家たちを精読するがいい。真相を反映しているのは彼らだけなのだ。他の作家たちは、同胞の無能さを告発したり、あるいはこれを否曲したりして、同胞と同じ水平に立とうとうしない。いかがわしい証人たちだというべきである」

 ↑p.144より

 二流作家という書き方が少々だが、これは大衆作家とか商用作家と読み替えた方が良いだろう。

 まさに、商用作家の方が、その国の一般人々の心情を的確に反映している(逆に啓蒙作家的な人のものは、一般の方々の心情を大きく外れているといえる)。

 「君たちに友達はいらない」と「子ザメちゃん」の対比がこれを裏付けているといえる。

 失われた過去の暖かさ・・・。勿論それは幻想に過ぎなかった。しかし、今日よりは明日は良くなるという、希望があったことも確か。「君たちに友達はいらない」が見落としているのはそこでは無いかと思う。

 そして、平行・停滞からいよいよ衰退へのフェーズへと移行しつつある衰退途上国家においての心証とはまさに、「ちょっぴりレトロでちょっぴり切なく」これは言い当て妙といえる。マーケティングの優秀さと思われる。沈み行く中で昔は良かったと昔話に沈みつつ、決して体験しなかったレトロを愛し、実在しないレトロ感に酔いしれる。で、なんとなく切ない。けれども子ザメちゃんはなんとも愛くるしい。何か失われた反資本主義的なそういうイメージをまといつつ、なんとも絶妙な内容だ。

 

 今の日本の心情を良く反映させている、そんなものだと思う。

 

 ところでかわいいねぇ・・・。