ディープフェイクの先にあるもの

 散々議論されているが、私も書きたいので。

 多く分けて、2方向あるだろう。

 両者はリンクするが分けて書くのがわかりやすい。

 一つは社会的な面。

 もう一つは個人的な面。

 

 前者はよく言われるように、社会混乱を招く。

 偽情報が簡単に出来て、センセーショナルなことを書くと注目が集まるということから、偽情報作成へのインセンティブが生じ(現在もそのことの指摘は多い。多くはお金稼ぎで偽情報を流している)、情報の混乱に拍車がかかる。

 更に問題は、オオカミ少年効果とも言うべきか、あまりにセンセーショナルな嘘ばかりとなると、本当にそれが起きたときに、またかーと思われて、本当に騒ぐべきときに騒げなくなるということだ。

 普段からセンセーショナルなことに慣れると、本当のことが霞むという問題もある。

 あとはスキャンダル系では、ディープフェイクだと言い逃れもかねてから指摘されているところ。

 

 何が本当で何が嘘か、ますますわからなくなる。

 

 結果最後は、政府報道とかでないと信用できないという雰囲気が醸成され、権威主義国中心に大本営が復活。

 それもそれで問題だろう。

 

 一方、個人面でも深刻だ。

 

 先程書いたように、超個人主義が広まるだろうし、何でもAIで解決という方向は様々な問題を生じさせる。

 理論上は写真一枚、音声少しがあれば、ディープフェイクを作成できるので、普段の生活ではいくらでも思い通りになる他者を直ぐ側におけるようになる。そのような中で果たしてどれだけ他者との真剣な交流があるだろうか。

 反対から見れば個人保護をどうするか。町ゆくだけで、ディープフェイクを簡単に作られてしまう。

 ボディデータもかなり詳細なもの、人間の動き、音声もかなりあるので、それを組み合わせればある意味丸裸に簡単にできてしまう。

 まあ、オタクが勝手に家でやってるだけだろ、と切り捨てることができる人もいるだろうが、やはり薄気味悪いだろう。

 スマホかざせば…というある種のエロ漫画の世界が実現する。

 

 過剰防衛なら何かまわりに妨害するものを貼っておくというそういうことになるかもしれない。電磁的フィールドかもしれない。

 

 

 とんでもない時代に活きているものだ。

とはいえ、技術進歩を止めるわけにはいかない。よい社会づくりが求められる。