昨日も書いているが
田原氏の問題
「2. 「過激な言論」の意味の変質
1918年当時: 「白虹日を貫けり」という故事成語(兵乱の前兆)が「政権転覆を訴える」ものとして弾圧されました Wikipedia。これは比喩的表現であり、直接的な暴力扇動ではありませんでした。
2025年現在: 田原氏の「死んでしまえ」という直接的で感情的な暴言が問題となりました。これは比喩ですらなく、露骨な人格攻撃です。
つまり、批判の質が劣化していると言えます。100年前は知的で文学的な権力批判が弾圧され、現代は粗野で感情的な暴言が自主規制されています。」
というように、そもそも、100年前からしても問題だが・・・
今回はシュミット的に
まあ、シュミットも今や岩波からでるようになってしまったが
と思っていたら、研究本の新しいものも出たようだ
(今度読んでみるか?)
さて、それはともかく、折角なのでClaudeに引き続いて今度はシュミット的観点から…
正直凡庸だが・・・
まあ、とはいえオーソドックスともいえ、まずまずの時事ネタにからめてのレポートはAIもすぐかけるようだ。
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優れた視点ですね。カール・シュミット(1888-1985)の政治理論を通じて、「アベノセイダーズ」現象、田原総一朗氏の発言問題、そして高市早苗政権の誕生を分析すると、極めて深刻な政治的病理が浮かび上がってきます。
シュミットの核心概念
カール・シュミットは、ナチスの「御用学者」として悪名高い法学者ですが、その理論は現代政治を分析する上で強力なツールとなります。彼の主要な概念は以下の通りです:
1. 友敵理論(Friend-Enemy Distinction)
政治的なものの本質は「友と敵の区別」にあるとする理論です。道徳における善悪、美学における美醜、経済における利害と異なり、政治固有の区別は「味方か敵か」という二項対立です。
重要なのは、敵とは単なる競争相手や討論の相手ではなく、「実存的な他者・異質者」であり、「自己の存在を否定するもの」です。この敵対関係は、必ずしも物理的な殺害を意味しませんが、極限的には武力衝突もあり得る関係性です。
2. 例外状態と主権
シュミットの最も有名な命題は「主権者とは、例外状態について決断する者である」です。
通常の法治国家では、法規範が政治を規律します。しかし、法では対応できない「例外状態」(戦争、内乱、恐慌など)が生じたとき、誰がその状態を認定し、法を停止して決断を下すか――それが主権者です。
この理論は、議会制民主主義の「決められない政治」を批判し、決断それ自体の重要性を強調します。
3. 崇高な理念による戦争の危険性
シュミットは、「人類」「平和」「正義」といった普遍的理念を掲げて戦う戦争が、最も残虐になると警告しました。なぜなら、敵を「人類の敵」「悪」として絶対化すると、妥協や和解の余地がなくなり、殲滅戦になるからです。
シュミット的分析:「アベノセイダーズ」現象
1. 友敵区別の極端化
「アベノセイダーズ」現象は、まさにシュミットの友敵理論の病的な顕現です。
- 安倍晋三(および安倍路線)を「敵」として絶対化
- あらゆる出来事を「安倍の陰謀」に帰結させる
- 「安倍政権=悪」という二項対立的世界観
シュミット的に言えば、これは政治的敵対性が極限まで純化した状態です。しかし重要なのは、この「敵」の設定が、逆説的に安倍支持層の結束を強化したことです。
2. 「正義」を掲げることの危険性
「アベノセイダーズ」が問題だったのは、彼らが「民主主義」「平和」「人権」という崇高な理念を掲げて安倍政権を攻撃したことです。
シュミットが警告した通り、崇高な理念を掲げると:
- 相手を「悪」として絶対化する
- 妥協の余地がなくなる
- 感情的・道徳的非難がエスカレートする
田原総一朗氏の「死んでしまえ」発言は、まさにこの帰結です。高市氏は単なる政治的対立者ではなく、**存在そのものを否定すべき「絶対悪」**として認識されたのです。
3. 敵対関係の自己増殖
シュミット理論の洞察は、友敵関係が自己増殖するという点です。
「アベノセイダーズ」という揶揄 → 安倍批判派の反発 → 「ネトウヨ」というレッテル → さらなる分極化
この悪循環は、双方が相手を「敵」として認識し、政治的対話が不可能になる過程そのものです。
シュミット的分析:田原総一朗氏の発言
1. 「例外状態」としての認識
田原氏の「死んでしまえ」発言は、彼が高市政権の誕生を一種の**「例外状態」**として認識していたことを示唆します。
つまり:
- 通常の政治的議論では対処できない危機
- 民主主義そのものが脅かされている
- したがって、通常のルールを超えた言動が正当化される
シュミットが描いた「例外状態における主権者」の論理を、田原氏は(無自覚に)自らに適用したのです。「野党に檄を飛ばす」という彼の弁明は、自らを「決断者」として位置づける試みでした。
2. 言論の暴力化
シュミットは、政治的対立が極限まで進むと、物理的暴力に転化する可能性を認めました。田原氏の「死んでしまえ」という表現は、まさに言論が暴力の閾値に達した瞬間です。
この発言は:
- 相手を人間以下の存在として扱う
- 物理的排除を想起させる
- 安倍晋三氏の暗殺(2022年)という文脈で、特に危険
3. 議会制民主主義の崩壊
皮肉なことに、田原氏の発言は、シュミットが批判した議会制民主主義の限界を体現しています。
シュミットによれば、議会制民主主義は:
- 討論と妥協を前提とする
- しかし「敵」を前にすると機能不全に陥る
- そのとき「決断」が求められる
田原氏は、高市政権という「敵」を前に、議会的討論を放棄し、感情的な「決断」(暴言)に走りました。これはシュミットが予見した、自由主義的民主主義の自己矛盾です。
シュミット的分析:高市早苗政権の誕生
1. 「決断」の体現者としての高市
高市早苗氏が首相になった背景には、「決められない政治」への反発があります。
これは、シュミットが称揚した**「決断主義」の勝利**です。高市氏は:
- 安倍路線の明確な継承者
- 「保守強硬路線」という明確な立場
- 公明党という「ブレーキ役」を排除
シュミット的に言えば、高市氏は**「主権者」として例外状態に決断を下す者**として支持を集めたのです。
2. 友敵の明確化
高市政権の特徴は、友と敵の区別が極めて明確なことです。
この明確な友敵区別は、シュミット理論では**「真正な政治」の条件**です。曖昧な中道よりも、明確な対立軸を持つ政治の方が、支持者を動員しやすいのです。
3. 「アベノセイダーズ」現象が生んだ反動
高市政権の誕生は、「アベノセイダーズ」現象の弁証法的帰結です。
極端な安倍批判 → 安倍支持層の結束 → 「反アベノセイダーズ」の台頭 → 安倍路線の純化(高市政権)
シュミット的に言えば、敵の存在が味方を強化するという政治のメカニズムが働いたのです。
シュミット的分析:白虹事件との対比
1. 外部弾圧から内部自粛へ
白虹事件(1918年)と田原氏発言問題(2025年)の対比は、シュミット理論の核心を突いています。
白虹事件:
- 政府による外部からの弾圧
- 法的処罰の脅威
- 主権者(国家)が「例外状態」を宣言し、言論を規制
田原氏発言問題:
- メディアによる内部自粛
- 「モラル」を理由とした番組終了
- 市民社会が自ら「例外状態」を設定し、言論を規制
シュミット的に見ると、これは主権の所在が移動したことを意味します。かつては国家が主権者でしたが、現代では「世論」「メディア」「市民社会」が主権的機能を果たしています。
2. 「例外状態の常態化」
白虹事件後、日本のメディアは自主規制を強化し、やがて戦争協力へと向かいました。これは、「例外状態」が日常化した過程です。
シュミットの理論を発展させたジョルジョ・アガンベンは、現代を「例外状態の常態化」の時代として分析しました。田原氏発言問題も、この文脈で理解できます:
- 「モラル違反」という曖昧な基準
- 予防的な自主規制の強化
- 「いつでも番組が終了させられる」という恐怖
これは、白虹事件と同じ言論萎縮のメカニズムが、形を変えて再現されているのです。
3. 「敵」の不在がもたらす危機
白虹事件当時、日本には明確な「外敵」(列強諸国)がいました。現代の日本も、中国や北朝鮮という「外敵」を想定していますが、より深刻なのは内部の敵対化です。
シュミットは、内戦こそが最も残酷な戦争形態だと指摘しました。なぜなら、内戦では友と敵の区別が曖昧になり、誰もが潜在的な敵になるからです。
「アベノセイダーズ」vs「ネトウヨ」という対立は、まさに言論空間における内戦状態です。
シュミット理論の危険性と洞察
危険性
シュミット理論を単純に適用すると、以下の危険があります:
- 友敵区別の絶対化:相手を「敵」として認定すれば、排除や殲滅が正当化される
- 議会制民主主義の否定:「決断」を重視すると、独裁者を正当化しかねない
- 例外状態の濫用:権力者が「例外状態」を恣意的に宣言し、法を停止できる
シュミット自身がナチスに協力したことは、この理論の危険性を示しています。
洞察
しかし、シュミット理論は以下の重要な洞察も提供します:
- 政治の本質的な対立性:政治から対立を完全に除去することはできない
- 崇高な理念の危険性:「正義」を掲げる戦争が最も残虐になる
- 例外状態の現実性:法では対応できない危機は実際に存在する
結論:シュミット的悪循環からの脱却
現状の診断
「アベノセイダーズ」現象、田原氏の暴言、高市政権の誕生、そして白虹事件との連続性——これらすべては、シュミット的な友敵政治の悪循環を示しています:
- 友敵区別の極端化:政治的対立が実存的敵対へ
- 崇高な理念による正当化:双方が「正義」を主張
- 決断主義の台頭:「決められない政治」への反発
- 例外状態の常態化:言論の自主規制と萎縮
- 対話の不可能性:建設的な政策論争の消失
脱却の可能性
シュミット理論を逆手に取ることで、脱却の糸口が見えます:
1. 友敵区別の相対化
- 政治的対立者を「敵」ではなく「対話相手」として扱う
- 「観光客的存在」(東浩紀)を許容する多元性
2. 崇高な理念の懐疑
- 「正義」を振りかざさず、政策の実効性で議論する
- 道徳的優位性への執着を捨てる
3. 決断と熟議のバランス
4. 例外状態の限定
- 真の危機と日常的問題を区別する
- 「例外状態」の濫用を監視する
5. 歴史的記憶の共有
- 白虹事件の教訓を学ぶ
- 言論萎縮のメカニズムを理解する
最終的な問い
シュミット理論が突きつける根本的な問いは:
「政治から敵対性を完全に排除できるか?」
答えは「否」でしょう。しかし、敵対性を管理し、暴力化を防ぐことは可能です。
「アベノセイダーズ」も、田原氏の暴言も、高市政権の強硬路線も、すべて管理されない敵対性の暴走です。日本の政治が健全性を取り戻すには、シュミットの警告を真摯に受け止めつつ、彼の理論を超克する必要があります。
それは、友敵の二項対立を超えた**「第三の政治」**——対立を認めつつ、対話と妥協を可能にする政治——の創造です。白虹事件から107年、日本はまだその道を見出せていません。
参考文献
カール・シュミット関連
- カール・シュミット『政治的なものの概念』(田中浩・原田武雄訳、未來社)
- カール・シュミット『政治神学』(権左武志訳、岩波文庫)
- Wikipedia「政治的なものの概念」
- Wikipedia「例外状態」
- 佐藤優「『友・敵理論』で日本学術会議問題を読み解く」(文藝春秋PLUS、2022年)
- 東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』草稿(webゲンロン、2016年)
- 大竹弘二『カール・シュミット──ナチスと例外状況の政治学』(三田評論ONLINE)
- 長谷部恭男「例外事態について決定する者」(憲法学の散歩道第34回、勁草書房)
- 稲葉振一郎「カール・シュミットの『例外状態』だの『決断』だのといったレトリックについて」(2018年)


