本日は単なる(いつもだが)雑な論考
AIやデータに関してを取り扱うとどうしても炎上や法的にグレーだが手厳しく非難される行為というものが生ずる。
最近はそういうものがかなり研究されてきているようだ
一例が↓
かなり参考になる文献紹介などがされている。
お馴染みだがデータを重ね合わせる事様々なことが分かってしまい、それによる弊害も多く指摘されているところ
(やろうと思えば、このブログの執筆者も容易に特定されるだろう。というか、ほぼ隠していないので)
深刻な例な例としては↓
このようなところでどうして行くか。
ビックテックのように血まみれの訴訟やトラブルを起こしながら、それでも前進するか、それとも炎上を恐れて何もしないか?
これは難しい問題だろう。
ただ、判例の積み重ねを重視というかそれでルールを形成してゆく英米法に比べて大陸法系統の原理原則を元に判断する後者の方がやや考え方的に不利な面もあるだろう。
本来、日本はある種のハイブリッド型で、原理原則に近いものを法律で、間を判例で埋めるというかたちだということが多くいわれる。
→民法形成に関する議論を参照。3000条以上あるフランス民法などに比べて日本民法は1000条程等がわかりやすい例。
よく考えなくてはららないし、昔から、個人単位だけでは無くグループのプライバシーというものも論じられてきたところ。
https://www.researchgate.net/publication/254809820_KDD_Privacy_Individuality_and_Fairness
議論はあまりに多岐にわたる。
様々書くべきことがあるがまとまらないのでまた次回。