両者は資本家より毛嫌いされることに共通点がある。マルクス主義は当然であるが、保守主義が嫌われるのはなぜか?
それは、資本主義に内在する運動の理論により、例えば次のように解説される。
http://www.shukugawagakuin.net/wp-content/uploads/bulletin/2015_1_hara.pdf
常に運動し続けることが資本主義であり、とどまることを許さない。
その為、過去との連続性を重視する保守的思考、保守主義者は常に資本家にとって悪であり、様々なビジネス文章で保守主義を打破し!・・・という記事を見かけることとなる。
勿論控えめな自己主張などといっていては競争社会で埋没してしまうし、暫時推進などといっていては革新的ビジネスに乗り遅れてしまう。
よって、保守的思考であるペンギン主義も資本家から嫌われるという点では左派のマルクス主義者と変わらないように見えてしまう。
また、保守主義も多くはどこか反資本的・美学的・反拝金主義的イメージもある。
しかし、いわゆる右派及び経済保守派は、市場への国家介入に反対的であり、その点はマルクス主義者とは大きく異なる。
ここで、両者の意外な共通点を考えつつも、ペンギン主義においてはたとえ資本家に嫌われても、市場の側に立つこと、そこがマルクス主義とは違う点を明確にしておきたい。
ペンギン主義は、市場闘争向きの考えではない。しかし、だからと言って政府に媚びる考えでもない。「芯をもって」とはまさに政府介入を拒絶しつつ、荒波の市場のなかでもきちんと生きてゆくことを目指す立場である。
ペンギン主義は政府を不要とまで過激に考えるアナーキストとは異なりある一定のルールメイクなど一部では政府の必要性を認める。一方、政府による市場介入は原則的に認めず、せいぜい間接介入が例外的に認められるに過ぎないと考える。
そのような中では絶えず変動し過去との決別を迫り、保守的考え方と相いれない資本の理論の中でペンギン主義は死んでしまうのではないか?そういう疑問もあるだろう。しかし、掛け声とは裏腹に、人間が保守的である以上市場もまた保守的一面もある。保守主義を否定的に見るビジネス記事は枚挙に暇がないが、実はそれだけビジネス環境は放置してゆくと保守化するということである。そのような保守的状況を打破し革新を進めようというのが多くの資本家の理論であり、ここで言われている保守は単に旧習打破というより停滞状況を克服する意味のこともある。後者であればペンギン主義であってもいたづらに伝統ゆえ伝統は正しい、今までのやり方だからこれがすべて正しい、という硬直的保守をとるわけでない以上、十分宥和的である。
ペンギン主義とて、一切の進歩を拒むというわけではなく、順次改善、歴史の上に立った進歩はありうる。
要するにビジネスでいえば、過去をまるで捨てて、別方面に進む(例えば最近でいえば大塚家具が代表例だろう)のではなく、自社のコア、自社の伝統を生かして新しい分野に進出する(例えば、富士フィルムの転換が代表例※。関係が無さそうでも自社のコア技術を生かしている)ことはペンギン主義においても十分賛同できる。
※参考
https://circu.co.jp/pro-sharing/leaders-campus/article/380/
政治的にも同じである。激変には反対するが、歴史を生かした転換には賛成する。
そう考えるならばマルクス主義者らとの違いは一目瞭然であり、両者に意外な共通点があるからと言って、両者は羽の表と裏の関係にある反資本家的思考であるとは言い難いであろう。